ドイツ全土からナショナルチームに選抜されたメンバーが集って数日。
合宿所から軽く走った場所にあるベーカリーが、一部のチームメイトたちの休息場所となっていた。
首にスポーツタオルをかけたシュナイダーは、前を行くシェスターがドアを開ける背中に続いてカフェテリアに入る。
扉にぶら下がった鈴が、開閉するたびに涼やかな音をたてて客を出迎え、送り出していく。
「シュナ、なに食べる?」 「ミッシュブロート」
二人掛けの空席にタオルだけを置いて、香ばしいパンや惣菜が並ぶコーナーへ向かう。セルフサービスで会計を済ませ、席に戻って食べるのだ。
次々と焼きたてのパンが運ばれてくるのを見つめながら、お目当てのミッシュブロートを探す。
それにしても気になることがあった。このベーカリーは種類も豊富で味も満足できる店なのだが、
毎回必ず、店員の女の子がパンを焦がして怒られている場面に遭遇するのである。
ほら、今日も、店主の呆れうんざりしたような声が、売り子が詰めるカウンターの向こうから聞こえてくる。
ミッシュブロートをトレイに載せて、シュナイダーとシェスターは顔を見合わせた。どちらからともなく小さく笑って、カウンターへ向かう。
シェスターのトレイにはカイザーロールがふたつ乗っていた。
会計を済ませるとき、奥の厨房を見ると、三つ編の若い女の子が頭を下げながらも強い感情を込めた瞳で店主と向き合っていた。
いつもとおんなじ、謎めいている光景だった。パンが焼きあがる時間が決まっているのか、シュナイダーが訪れるこの時間の風物詩のようだ。
なんてことを考えていると、初めてこの店に入った日からシェスターのファンだと公言して憚らないブレーメン出身の売り子が、
彼らの視線に気がついて笑った。 「毎日ああやって怒られるのよ。彼女、不器用だから」
言いながら、シェスターとシュナイダーのトレイに、デリのポテトサラダを置いていく。おまけをつけてくれるらしい。
「ミッシュブロートを焼いたのは彼女なの。おいしいでしょ? 不器用だけど頑張ってるの。でもあなたたちみたいな器用な人にはわかんないかも」
席に着くと、再びカランコロンと鈴が鳴った。視界の端で、チームメイトのカルツやマーガスが入ってくるのが見えた。
シェスターが手を挙げると、すぐに気がついて手を振りかえした。
そのままトレイを取りに向かうふたりを見つめながらミッシュブロートに噛み付く。軽い食べ味のライ麦パンは、
風味が優しくて、今は空けている実家の母の味を思い出す。つまり、好みの味だった。
「俺たちだって別に器用じゃないけどさ…、ま、おまえは別次元だけど」
ケシの実がちらばるカイザーロールのふたつめに手を出しながら、シェスターがしみじみと言った。
「俺は自分の10番を守り通すのも大変なんだ」 ふう、とため息をつくようにして、視線だけでカルツを追う。
まさかプレイスタイルがちがう、典型的でなお洗練されたゲームメイカーであるシェスターが、カルツをライバル視しているとは驚いた。
いや、想像できないわけではない。カルツもシェスターも、プレイスタイルが対極だからこそ、お互いの長短所がよくわかるのだろう。
けれど、シェスターもまちがっている。
ミッシュブロートの最後のひとかけらを放り込み、ポテトサラダを引き寄せて、シュナイダーはパンを選んでいるマーガスを一瞬かすめ見た。
負ける気はしない。ツートップを組むマーガスの実力を軽んじているわけでもないが、シュナイダーは少なくとも気力で負けるつもりは毛頭なかった。
がむしゃらに突っ走ってきたのだ。 「俺だって器用じゃないさ。器用だったら、サッカーなんてやめてるだろ」
シェスターは瞬間、虚をつかれたような顔をした。 考え込むように顎を押さえて、やがて得心したのか、表情を緩ませる。
「そうかもな」 ふたりしてポテトサラダをかこむ。牛乳の味がしみたポテトは甘く、今日を生きる力を与えてくれる。
サッカーを投げ出した人生にないて興味はない。たぶん、厨房で怒られている女の子も、本質的には同類なのだ。
彼女もきっと、パン職人を投げ出した人生には興味をもてないにちがいないのだから。
自分で選び、望んで頑張ってきた。いつか、この努力を誇れる日がくるのか、今はそれもどうでもいいが、いずれは実感するときがくるのだろう。
「おふたりさん、なに話してんの?」 「あっ、ポテトサラダ! 俺も取ればよかった」
賑やかに近づき、隣の空席に腰を落ち着かせるカルツとマーガスにひらひらと手を振って、ふたりは最後の一匙をすくった。
他国のナショナルチームには、優れたストライカーやゲームメイカーが枚挙に暇がないほどで、彼らと戦う試合のひとつひとつに緊張し、高揚する。
時には動揺することもあるけれど、フィールドにひとりではないと知っていることが、心も強くする。
互いにライバルだと認め合い、チームメイトだと信頼し合える絆を、シュナイダーは心地良く感じた。
このチームでいつか、世界の頂点を獲る。 それは絶対に、希望では終わらせない。
おしまい
|