練習後の他愛ないおしゃべり 会話をリードする人物は大抵決まっていて、馬鹿話を披露するのも、それを混ぜ返すのも、にこにこ見守るのも、それぞれ役割はできてる。
若林は話しかけられるのも、悪ふざけに乗るのも、意見を主張することも多いから会話の中心にいる。 一方のシュナイダーは、自分で話を始めるよりは、冷静に会話を聞いて意見を差し挟む方だ。 それも、あえて求められることがなければ黙って成り行きを眺めているようなところがあった。 我が強くても、強権を発動するのはフィールド上に限り、それ以外は個人主義のお国柄、個々の主張に任せる、といった雰囲気だ。 相手を尊重しているというよりは、他人に歩み寄る気が無いというか。 ぽかっと一人だけ違う空気の中で生きているような、そんなところがある。 一種独特な相手で、落ち着いていて何があっても動揺することがないので逆に頼りにされている気がした。 何も言わなくても、行動に対する決定権を握っているような。 若林にとっては、ハンブルクチームの関係は不思議に見える。
それにしてもあまり自発的に喋らない奴なので、シュナイダーは案外私生活が謎の人物だった。
父親は元プロサッカー選手で 現HSV監督。 HSVは不振が続いているので、チームの仲間は、シュナイダーに父親のことは振らない。 試合にも遅れてきたり、練習もさぼったり しかもそれに対して誰も文句言わない。監督までもだ。 かと思えば、誰にも真似できない真剣さと集中力で一人で連日居残り練習をしていることもある。 いい加減なんだか、生真面目なんだか、よくわからない。
親しくなっても、自主練習に付き合ってくれと頼んでも、けんもほろろに断ってくれたりする。 こちらの人間は主張がはっきりしている。 自分の時間を割いてまで他人の練習に付き合うメリットを感じない。 と思えばそれをずばりと言ってくるわけで。 負けず嫌いの若林の一部分をこれ以上なく刺激してくれる相手だった。正直に腹が立つ。 仲間を育てようとか、協力してやろうとか、そういう親切心や義侠心がシュナイダーには欠けている。 いや、まあ若林も他人のことを言えた義理は無いが、仲間に対しては身内意識が高い方だ。が、相手はドイツの空気のようにどこまでもドライなのだった。 チームというよりは、個と個の繋がりで、足を引っ張られるのは迷惑とまでは言わないが、同じレベルの選手しか相手にしないと態度が言っている。 日常生活では、世間並みの親切心を示してくれるが、サッカーが絡むと厳しくて冷淡だ。 恵まれた環境に育って、能力にも恵まれた若林は、軽く見られたり、なめられたり、なんてことは殆ど経験が無く、当然、反発の対象になったが、フィールド上の相手の凄さは素直に認めていた。
シュナイダーの態度が腹に据えかねて見上に話したこともあって、すわ虐めかと慌てていたが、別に意地悪されたわけではなかった。誰に対してもシュナイダーはこうだった。 身に受けたのが虐めだったら相手のことなど話さないし、気にも留めない。 そうじゃないから悔しいのだ。説明すれば、見上も面白そうに眼差しを緩めた。 相手はヨーロッパNo.1と言われる選手らしいぞ。 ライバルができてよかったな、と笑った。 だからNo.1のシュートを完璧に止めて見せると決めた。 こういう相手がいるからこそ、留学した意味もあったわけだ。 負けるものかよ、とそのブルーの瞳を睨みつけていた。
シュナイダーは現金な相手で、若林が実力をつければつけるほど目を向けてくるようになるのだから、やりがいがある。 一瞥も無く逸らしていた目が、最近は良くこちらを向いている気がする。
夏休み前になれば、全員浮き立って、休み中に何をしようか、という話になるのに、やっぱりシュナイダーは何も言わない。
日本のように夏休みにみっちり課題を出すなんてことはしないから、ドイツの夏休みは完全なオフだ。 電車でヨーロッパを巡る計画を立てる奴もいれば、親戚の家に遊びに行く奴、ボランティアに参加する予定の奴もいて、休暇前は一番嬉しい期間だから、それぞれ浮かれた顔で興奮して話している。 若林も前半はギムナジウムの校長が紹介してくれた家庭教師にみっちりドイツ語を習って、授業にも夏休み中に追いついてしまうつもりだった。 授業の内容の理解度とドイツ語の習得度で、後者が遅れているとどうしても不都合が出てくる。 日本に帰らないと主張する末弟のために家族の方がヨーロッパまで来るから、旅行をする計画もあった。 勿論、クラブの練習や試合もある。 目まぐるしい日程だったが、やっぱりそれでも夏休みは楽しみだった。
熱心に聴いているわけではないが、一応、話に耳を傾けている風情の少年を眺める。 夏休み中に、一本でも多く、この相手のシュートを止めてみせる、と思う。 それにしても、夏休みだ。知らない間の相手が何をしているのかがふと気になった。
「なぁ…オフの時ってなにしてる?」 突然の質問に怪訝そうな顔になる周囲を無視して、若林は相手を見る。 「まさかオフの時までサッカーのことばっかりてわけじゃ…」 ないよな、との質問が途中で消える。
頬杖を付いて興味無さそうな顔をしていた相手の瞳が動いたからだ。 若林のことを見るわけでもなく、何かに驚いて納得したような、感情の動き。 形のいい唇が薄い笑みを浮かべる。
一瞬妙な間ができた。
シュナイダーはあまり見ないような端正な顔立ちの少年で、普段は表情を和らげたりしないからきつい印象が強く、珍しい微笑でさえも逆に妙な迫力があるのだった。 思案に沈んだような、不明瞭な感情の発露にどきりとした。 黒白はっきりしているシュナイダーが、曖昧な表情を見せると奇妙に色っぽいと気付く。 それでいてどこか不敵な感じのする顔だった。 なんとなく落ち着かない空気になって、皆で相手の発言を待ってしまう。 当人は全く頓着しない様子で、唇を開く。
「好きな奴のことばっかり考えているよ」
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休暇前の話題 他愛ない未来への希望と期待 無邪気で傍若無人で、てらいの無い欲望 試合前の緊張交じりの興奮より、純粋な喜びに満ちた声
盛り上がる話を聞きながら、あまり集中していなかった。
そもそも何で自分はここにいるんだと考えると困惑する。 早く帰宅しても特にやることはないが、別に疑問も持たずに毎日帰っている。 今ここにいる理由は
寄ってこうぜ、と、声をかけてきた相手がいたからだ。
時計の針を一時間進めて、特別な季節を過ごすように、シュナイダーの時間を変えてしまった相手。 今までと違う時間が日常になって、そうなったら、いつ針をまた戻せばいいのだろう、とたまに考える。 夏が終わったら、決まった日が来たら 全員にわかりやすく教えてくれる通達なんて、これには絶対に来ない。 平常心に戻る日なんて来るのだろうかと首を傾げる。
シュナイダーの目に映る世界は単純で、わからないものを掘り下げようとも思わなかった。 必要なものとそうでないもの 身に着けなければいけないものとそうでないもの それはいつまでに 猶予はどれくらい許されるのか 待ち合わせの時間については気にしたことが無いが、その種の時間はシビアに計算する。 人生は限られているから 欲しいものを手に掴むために躊躇っている時間など無い。
ただ、 大事なものとそうでないもの そんな取捨選択は今までしたことがなかった。 もともと大事なものは少なくて、改めて考える必要が無いくらいに決まりきっていて、増えることがあるとも思っていなかったから
違う。大事なものではなくて
「どうせ暇なんだろ?一緒に遊びに行こうぜ」 誘う声に嬉しそうに相手が応じる。 「自転車でブレーメンまで?電車に自転車を乗せられるのがすげえよな」 「普通だろ?日本は違うのか?」 「そのままの持込はできなかったと思うぜ。大体、日本の都心の列車は人だけでも乗車率100%越えるからな〜」 「あ、それ、見たことあるぜ」 明るく話す声を聞きながら、何となく釈然としない気分になる。
学校は終わって、クラブも夏休みに入れば、相手の姿を見る機会はなくなるんだろう、と今更自覚した。 あまり覚えの無い感情で、どう説明付けすればいいのかよくわからない。 何が気に食わないのだろう。 それとも寂しいと感じているのか。 他人からも言われるが、自分の我が儘さ加減は自覚している。他人にいいように動かされるのは嫌いだ。 納得できないと思えば監督の言うことにでも従わない。 だから操られているわけではないと思う。 ただ、一人の人間がどうしても無視できない。
日本には帰らないと主張する相手は意地っ張りだと思うし、訪ねて来る家族とヨーロッパを巡るんだと嬉しそうな顔をするところを見れば、無邪気な相手が好ましく思える。 そういう感情の動きに後から気付くと、何をやっているんだろうと冷静に自分の不可解さを分析してしまう。
気付けば、相手の姿や声を無意識に拾っている。 なぜだろう。
「なぁ…オフの時ってなにしてる?」
突然、自分に対しての質問が向けられて、ふと覚醒した。 水底から浮き上がったように、意識がはっきりする。 聞こえなかった声が聞こえる。 「まさかオフの時までサッカーのことばっかりてわけじゃ…」 それもありえるかもしれない、といった響きが含まれていて自然に身体が反応した。 考えるまでも無く、答えは目の前にあった。
大事なものではなく 特別なもの 進んでしまった針は戻せない。
「好きな奴のことばっかり考えているよ」
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